▲写真は一ツ葉稲荷神社

昭和35年4月号から1年間連載されていた「地名むかしむかし」。
市内のいろいろな地名の由来を当時の文章のままお届けします。
昭和36年3月号より。

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▲写真は一ツ葉稲荷神社

昭和35年4月号から1年間連載されていた「地名むかしむかし」。
市内のいろいろな地名の由来を当時の文章のままお届けします。
昭和36年3月号より。


[前略]

明治二十二年に町村制がおこなわれたとき山﨑、江田、新別府、吉村の四村を合併して檍村をおいたが、そのときなぜこんな名をつけたかというと、その時の郡役所では「古くよりこの地方を檍原とよんでいるからだ」 とせつめいしている。

[中略]

この地方を古くから「あはき原」というのは、イザナギノミコトがミソギハライをされたところと伝えられているからで古事記には筑紫日向之橘小門之阿波岐原とあり日本書紀には檍原の字を書いている。すなわちここがその伝説地である。

[中略]

またこの神話は海人族のしゆうかんをあらわすといわれるから「あはき」の「あは」は水の泡からきたことばかもしれない。


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