[第7回]菊池 武志さん
1936年、西米良村小川生まれ。
1996年に小学校の教諭を退職後、宮崎市にある大淀幼稚園で20年間にわたり園長を務められています。 幼稚園協会の会長としても活躍中です。

小学生の頃から舞い続ける小川神楽

[故郷で踏み出した教師生活の第一歩]

[第7回]菊池 武志さん
1936年、西米良村小川生まれ。
1996年に小学校の教諭を退職後、宮崎市にある大淀幼稚園で20年間にわたり園長を務められています。 幼稚園協会の会長としても活躍中です。

小学生の頃から舞い続ける小川神楽

「小川で生まれた後しばらくは延岡で暮らしていたのですが、戦争が激しくなった小学校2年生の時に祖父と祖母が暮らしていた小川へと疎開。そのまま祖父母のもとで、中学校卒業まで過ごしました」という武志さん。

「今でも神楽には参加しているんですよ。年齢も年齢ですし、腰も痛くなったりしてもうやめようと思うのですが、面をつけるとすっかりその痛みが消えて、体が自然に動くんですよ(笑)」と武志さん。

神楽との関わりはまだまだ続きます。


故郷で踏み出した教師生活の第一歩

中学校を卒業した武志さんは、延岡の高校へと進学します。 「中学校の担任が延岡の高校へ転任することになったのですが、その際、延岡で暮らす私の父に、高校でしっかりと教育を受けさせた方が良い、と進言してくれたんです。

それはありがたかったのですが、高校へは入試に合格しないと上がれないでしょ。もともとそんなつもりがなかったので、受験勉強には相当苦労しましたよ(笑)。

ただ理科は得意でしたよ。当時は物がなかったので、遊ぶにしても自分で工夫しなければならない。そんな自然の教科書とでも呼ぶべき環境で育ってきたので、おのずと知識が身に付いていたのでしょうね」。

高校を卒業後、宮崎大学へと進学した武志さんは、昭和34年に小学校の教師として西米良へ帰郷。その年から4年間、村所小学校の教壇に立ちます。

「教師として初めて受け持ったクラスには、今の黒木義光副村長がいたんですよ。それと、5年生のクラスには黒木定藏村長もいました」と武志さんは当時を懐かしみます。


その後、教頭、校長を歴任し、今は幼稚園の園長として活躍中の武志さん。最後に村へのメッセージをいただきました。

「まじめでやさしい西米良の人たちの気質や手つかずの自然など、村にしかないものをこれからも大切にしていってもらいたいですね」


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神楽面をつけると自然と体が動き出すんですよ。 写真

miyazaki ebooks編集部

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