えびの市内の稲荷神社

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稲荷信仰の始まりは平安時代からだといわれています。山城国(京都) などで農耕・殖産の 神として祭ったのが稲荷神です。中世から近世にかけて殖産興業・福徳成就の神として全国 に広まりました。

島津氏は元来、稲荷神を信仰してきました。島津氏の稲荷神信仰には、次のような言い伝えがあります。平安時代、源頼朝の側室である丹後局は頼朝の子 を身ごもります。しかし、頼朝の妻、北条政子の嫉妬を恐れた丹後局は、西へ落ちのびて行きました。その途中、摂津の住吉の路上で産気づきました。その時、稲荷神社の神使である狐が明かりを灯して、お産の手助けをし、無事に子どを産むことができました。その時生まれたのが、島津氏の始祖である初代・島津忠久だという伝説があります。

島津氏は、守護神として、安産の神として勢力の及ぶところに稲荷神社を奉祀しました。島津義弘は、えびの市内の稲荷神社を再建しています。えびの市内には三つの稲荷神社があります。一つは、坂元の稲荷下にあります。建立年は定かではありませんが、義弘が飯野城に入城して間もない永禄年間に再建されたものといわれています。東長江浦の稲荷神社は、一四五三年の創建です。神社は、義弘が栗野に移動する前、深井九郎右衛門によって一五八八年に再興されています。東長江浦の稲荷神社では「三段打分太鼓踊」「もっじゃま踊」「かもっ踊」 が奉納されていましたが、現在では、行われていません。 内堅の稲荷神社は松尾城の西にあります。稲荷城と呼ばれたのは稲荷神社があったからだといわれています。 義弘は、生涯で五十二回の戦をしています。戦の前には稲荷神社に必勝祈願をしたともいわれています。信心深い義弘は、稲荷神社を守り神として、大切にしていたのではないでしょうか。(文/市?史民俗資料館)


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