オーストラリアと宮崎。それぞれの国の文化を楽しみながら競技ができるのは幸せなことです

▲スピード・イーアンさん
小学生で陸上を始め、大学時代に宮崎出身の妻・貴美子さんと陸上を通じて知り合い、結婚。視野が狭くなる障がいを抱えながら、2008年には北京パラリンピック大会に出場。2013年に宮崎に移住後は市内外の大会で活躍中。

宮崎市で輝いている人を紹介する「キラリ! 宮崎人」。今回は、北京パラリンピックのオーストラリア代表選手で現在は宮崎市にお住まいのスピード・イーアンさんです。

歳とともに視野が狭くなる

[北京パラリンピック大会に出場]

▲スピード・イーアンさん
小学生で陸上を始め、大学時代に宮崎出身の妻・貴美子さんと陸上を通じて知り合い、結婚。視野が狭くなる障がいを抱えながら、2008年には北京パラリンピック大会に出場。2013年に宮崎に移住後は市内外の大会で活躍中。

宮崎市で輝いている人を紹介する「キラリ! 宮崎人」。今回は、北京パラリンピックのオーストラリア代表選手で現在は宮崎市にお住まいのスピード・イーアンさんです。

歳とともに視野が狭くなる

オーストラリア出身のイーアンさんは、陸上やサッカー、クリケットが大好きなスポーツ少年でした。高校生からは弁護士を目指して勉強にも励み、大学卒業後は弁護士として仕事をこなす毎日でした。

それまでは日常生活に大きな支障はありませんでしたが、歳を重ねるごとに視野が狭くなり、医師の勧めもあって、2011年頃に弁護士を退職。今は慣れない道路を歩いたり、段差が歩きにくかったりなどの支障を抱えています。


北京パラリンピック大会に出場

そんなイーアンさんが障がい者として陸上競技への挑戦を決意したのは2005年頃のこと。競技中に隣りのランナーが見えにくいなど、視覚に不安はありましたが、大学時代まで陸上に打ち込んだこともあり、練習を再開。

世界大会も経験し、2008年には念願の北京パラリンピック大会にオーストラリア代表として出場を果たします。「それまでの2年間、ほぼ休まず練習をして臨みました。5万人の歓声に包まれながら走った経験は忘れることができません。

たくさんの障がい者と一緒になったことも初めてで、とても新鮮な体験ができました」と振り返るイーアンさんですが、大会後は決して満足のいくものではなかった記録への悔しさが沸き上がり、また練習に励むようになったそうです。


宮崎で送る第二の競技人生

宮崎市出身の貴美子さんとオーストラリアで結婚していたイーアンさんは、2013年に家族で宮崎市に移住しました。「妻の出身地ということもありましたが、何より宮崎は子育てにぴったり。

私が育ったメルボルンは大都市で、人も車も多く、それに比べると宮崎はとても静かで過ごしやすいです。私や娘たちにとって、2つの国の文化を楽しめるのもいいことだと感じています」。

移住前から家族の会話は日本語が中心。イーアンさんは今も、伴走者らとのランニング中の会話を通して日本語の勉強に励んでいるそうです。 移住後は、市代表として宮崎県市町村対抗駅伝競争大会に出場を続けているほか、2014年は長崎で行われた全国障害者スポーツ大会に県代表として参加。新記録を樹立するなど、活躍を見せています。

「青島太平洋マラソンにも参加しましたが、残り10キロはずいぶんこたえました。フルマラソンは本当に難しい。まだまだ練習が必要です」というイーアンさん。海外で開催される障がい者マラソンのワールドカップや、4年後の東京パラリンピックなど、いくつもの大会を目標に据えながら、練習を重ねる毎日です。


注目!

市広報みやざき 2017年2月号

アイコン:ブックを見るブックを見る

人気記事

おすすめトピック