宮崎牛が食卓に上るまで(3)

Interview 繁殖農家に聴く

[口蹄疫禍]

Interview 繁殖農家に聴く

繁殖農家・川端昭二さん(前目)
地に足を付けながら等身大の仕事をしてみたい―。
そんな思いから就農を決断しました。


口蹄疫禍

「やるせない思いで胸がいっぱいになりましたね」平成22年8月27日の口蹄疫終息宣言から数日後、宮崎県家畜改良事業団から1通の封筒が自宅に届いた。封を開けると手紙と写真が入っている。内容は「2頭の種雄牛(福桜王・茂勝王)が口蹄疫まん延防止のため、殺処分されたこと」のおわびと「在りし日の2頭の写真」だった。「自分が手塩にかけて育てた牛が本当に死んでしまったんだな、とその時、初めて実感しました…」前目在住の繁殖農家、川畑昭二さんは、当時の記憶をゆっくりとかみしめるように語った。


就農まで

繁殖農家の両親の下、3人きょうだいの末っ子として伸び伸びと育った川畑さん。家業には興味を示さず、都城工業高校卒業後、関西電力に就職。仕事も波に乗り順調だったが、10数年たち、悩むことがあった。「大企業の看板や肩書きで仕事をするのは、自分に合っていない。身の丈に合った等身大の仕事がしたい」自分にとって等身大の仕事とは何か。自問自答の末、出た答えは家業「繁殖農家」だった。日に日にそんな思いが募っていく-。
そんな中、平成17年4月、母が脳内出血で突然倒れ、そのまま帰らぬ人に。実家で葬儀の準備を手伝いながら決心した。「就農しよう」就職して20年目の春。会社員生活に未練はなかった。


アニマルウェルフェア

午後1時、運動場に放牧された牛たちは、お互いなめ合ったり、角を突き合わせたりと思い思いに過ごす。時には川畑さんの元へ「あいさつ」代わりに体をこすり付けてくる牛たち。川畑さんがなでてあげると皆うれしそうな顔をする。
川畑さんの一日は、朝6時、牛への給餌から始まる。そのほか、田畑での農作業も行う。合間には新聞・インターネットからの情報収集も欠かさない。夕方の午後6時半過ぎまで作業は続く-。
就農後、県の普及センターで研修を受けた。父やほかの農家に教えを乞うた。また各種文献調査やインターネットによる全国の農家との情報交換も行う。模索した結果、たどり着いた理想が「アニマルウェルフェア」(動物福祉)。「快適性に配慮した家畜の飼養管理」を意味する言葉である。
牛にストレスを感じさせたくない。そしてお産を自然に近い形でさせたいと、離れて観察できるよう牛舎内にカメラを設置し、自力で産むようにした。また毎日のスキンシップや対話を通じ、牛の体調管理を欠かさず行っている。そんな川畑さんだが、冒頭で紹介した口蹄疫の悲劇に見舞われた。


仕事は8割の出来で満足する

「2頭の種雄牛は、まだ駆け出しだったのですが…。残念ですね」しかし、落胆ばかりしていられない。絶え間ない努力が実を結び、昨年6月、自ら育てた「安平王」が種雄牛に認定された。まだまだこれからですよ、と川畑さんは破顔一笑する。「完璧を追い求めるのではなく、8割の出来で満足しながら仕事を回していく。そして、安定した経営につなげていくのが目標です」そう語る川畑さんの表情は、「地に足を付けながら等身大の仕事をしている」という充実感に満ちあふれていた。川畑昭二さんが運営しているインターネットサイト「牛wiki」(http://usi.cafe.coocan.jp/usi-wiki/?usi-wiki-Top)


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