別名「浮舟城」 いくつもの過程を経て現在の姿に

「都於郡城跡」は海原に漂う舟のような美観から、別名「浮舟城」と呼ばれています。進められていた発掘調査により、「浮舟城」が元々は現在の形状とは違っており、ここに至る過程が少しずつ明らかになってきました。

都於郡城跡の発掘調査

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「都於郡城跡」は海原に漂う舟のような美観から、別名「浮舟城」と呼ばれています。進められていた発掘調査により、「浮舟城」が元々は現在の形状とは違っており、ここに至る過程が少しずつ明らかになってきました。

都於郡城跡の発掘調査

 西都市教育委員会では、平成13年度から、城の性格と機能及び保存整備データ蓄積のための発掘調査を実施しています。これまで、二ノ丸跡・三ノ丸跡、奥の城跡・本丸跡と二ノ丸跡間の空掘跡等を中心に確認調査を行いました。

 調査の結果、二ノ丸跡では、少なくとも2つの虎口が存在し、柱と思われる柱穴を確認したこと、堀立柱建物が幾度となく立て替えられた(内1棟を特定)こと等が判明しました。また、城跡では、虎口南側に排水路を 配した道路状遺構があり、多くの柱穴群と土塁の堆積及び構築 状況等を確認することができました。さらに、三ノ丸跡では、柱穴群を確認することができなかったことから、他の曲輪とは違う機能を有していた可能性が高いことが判明しました。

 本丸跡と二ノ丸跡間の空掘跡については、現在地よりもさらに地下3~4m深く掘削されており、元々は高さ13~14m、断面は「V」字に近い、かなり急唆な法面で あったことが判明しました。その他、各曲輪は平坦地にするため大規模な造成が行われていることを確認しており、都於郡城が存続する過程の中で、多くの改変を繰り返して、現状の姿になったものと考えられます。


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