【堀】県内で唯一水をたたえる城堀
【城門】3ヵ所の城門はいずれも二層造りの櫓門

堀 - 県内で唯一水をたたえる城堀 -

[城門 - 3ヵ所の城門はいずれも二層造りの櫓門 -]

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堀 - 県内で唯一水をたたえる城堀 -

 3代藩主・種信が、寛文13年(1963年)1月に着工し、2月末には完成させたという突貫工事で、現在もほぼ原形を残している。高鍋城の三の丸外側をめぐる延長530m。要所は石垣になっているが、ほかの所は両側が土手となっている。城堀の内側は土手の上に土塁を築き、白壁の築地塀が巡らされていた。

 これが鶴の形に見えたことから舞鶴城と呼ばれている。


城門 - 3ヵ所の城門はいずれも二層造りの櫓門 -

 城堀の内側には南入口の蓑崎門・表門の大手門・北入口の島田門の3ヵ所があり、3代藩主・種信の時、延宝3年(1675 年)に完成している。
 城門を開くのは大手門だけで、それも藩主がいる時だけである。二普段はすべて「くぐり」を開けて使用しており、午前6時に開門し、午後6時に閉門、夜は錠をおろしていた。


萬歳亭はなれ(歴史総合資料館北側)

 昭和17年(1942 年)、秋月邸新築に際し、老朽化した萬歳亭( 現在の資料館西側) は取り壊された。萬歳亭の別棟はそのまま残し、屋根を瓦に改め、35年間にわたり貴族院の議員を務めた秋月種英が書斎として使用した。その別棟も老朽化に加え、シロアリの被害が激しく、取り壊すこととなったが、貴重な文化財を惜しむ声が強く、昭和61年(1986 年)、「萬歳亭はなれ」として復元された。



水琴窟(萬歳亭はなれ敷地内)

 水琴窟は日本造園技術上、最高傑作のひとつといわれ、その起源は江戸初期といわれている。
 水琴窟は、当初は庭園に設置されるものではなく、手洗い場の排水設備であったらしい。それが時々いい音を出すことがわかり庭師によって改良されるようになったという。


【水琴窟のしくみ】
手洗い鉢などの傍らに小さな空洞を作り、その中に水滴を落として水音が空洞の壁面に反響、地上に聞こえてくるかすかな響きを楽しむ設備である。

この水琴窟は、昭和62 年(1987 年)、筏地区の黒本鎮夫氏宅の離れの手洗い鉢の近くで発見されたもので、平成4年(1992 年)にこの場所に設置された。


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