「河童」とは?

[都城島津邸で河童の手足(?)を公開]

「河童」とは?

三股町内に数編の河童伝承が残ることをご存じだろうか。想像上の生物とされている「河童」 。
しかし、その伝承の分布地域は三股のみならず全国各地に及ぶ。
現代社会においても、普遍的なイメージで語られる「河童」とは何なのか。
そしてどこにいるのか。河童伝承の背景を探るべく、さまざまな人の声を聴く中で見えてきたものとはー。


都城島津邸で河童の手足(?)を公開

「伝説上の妖怪・河童の手足(?) 」を初公開―。
その報道に皆が驚いた。

都城市・都城島津伝承館(都城島津邸内)は、4月19日から6月22日にかけて、都城島津家が所蔵していた「河童の手足」を公開した。しかもその河童は、三股町・梶山の川に生息していたという。
手足と一緒に木箱に入っていた由来書によると、文政年中(1818~1830年) 、鹿児島藩士・上村休助が梶山の川で1匹の河童を射殺。すると休助は、たちまち発熱し言葉を話せなくなった。 困った休助は知人侍・大川原世則に頼み、修験者にまじないをしてもらったところ回復。休助はお礼にと、捕まえた河童の両手足を世則に贈った。 その後、世則はそのうちの一対を都城島津家に献上したという。


「河童の手足」と同梱されていた「河童の絵」(都城島津伝承館蔵)


『本物かどうかの判断は皆さんのご想像にお任せします』
都城市教委 都城島津邸学芸員・米澤英昭副主幹(43)

「河童の手足」は、2004(平成16)年に、都城島津家から都城市に譲り受けた史料の一部です。どちらが手か足かは不明です。二つのうち、細い方の長さが約15㌢、太い方が約8㌢あります。昭和30年代、この史料の写真を見た国の職員から、「詳しく調査したいので、(国に)譲ってほしい」と言われたことがあったそうです(その際は断ったようです)。いろいろとご意見はあるでしょうが、都城市教委では真贋調査を行う予定はありません。本物かどうかの判断は、皆さんのご想像にお任せしたいと思います。なお当該史料について、今後は、さまざまな活用法を検討していきたいと考えます。


川から現れた河童
(版画制作・有川龍次さん)


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