およそ2年前、東京から宮崎県・日之影町へ地域おこし協力隊としてやってきた新宅可奈子さん・24歳。

この町に住み、大人(おおひと)地区の人々との絆を築いてきた新宅さんが肌で感じた、この町ならではの魅力とは、一体何なのでしょうか。
町民とともに、この土地に代々伝わる芸能の舞台に立った経験から、語ってもらいました。

かつての領主が見舞われた悲劇を描く、農村歌舞伎

[髷がつらをかぶり、5分の長ゼリフに挑戦]

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かつての領主が見舞われた悲劇を描く、農村歌舞伎

私は2年前から大人(おおひと)歌舞伎(かぶき)の公演に出演させていただいています。

大人歌舞伎は、「戦国時代に日之影町大人地区を治めていた領主・甲斐宗(かいそう)摂(せつ)が、延岡藩主高橋元(たかはしもと)種(たね)の命令により主君の三(み)田井(たい)親(ちか)武(たけ)を討ったところ、元種からの裏切りにあい不忠者として最後は元種に討たれた」という悲劇を哀れんだ大人地区の領民によって奉納された念仏踊りから始まりました。
それまでは大人芝居と呼ばれていたものが、天明年間(1781~1789年)に上方から移入された歌舞伎へと発展し、大人歌舞伎と呼ばれるようになったのは昭和30年代です。それから約60年経った現在も、大人地区の人たちを中心に約25名で大人歌舞伎は続けられています。


髷がつらをかぶり、5分の長ゼリフに挑戦

まったくの演技初心者で、歌舞伎すらも初めて観たというレベルの私にとって、初めての年は(セリフもほとんどない女郎のうちの一人でも)慣れない動作に体の動きを追いつかせることで精一杯でした。

2年目はいきなりセリフが4~5分ほどある商人の役を頂き、初めて髷(まげ)を付けて芝居をすることになりました。“2年目で突然の長セリフ、しかも男”という難役。しかし、私はほぼ完ぺきに役をまっとうすることができました! それもひとえに、ほぼ毎日行われた長丁場の練習と反省会のおかげだと思います。


職業も、年齢も、性別も関係ない
垣根なく練習に励む町民たち

練習では、農家の人もサラリーマンも主婦も学生も、「大人歌舞伎の館(ここで公演も行う)」に集まれば、みんなが歌舞伎役者の一人としての顔を持ち、真剣な面持ちで練習に打ち込みました。
練習の後に開かれる反省会では、お酒を交えながらその日の反省や、これまでの公演のDVDを見て演技の研究をしつつ、今日の仕事がああだったとか、学校はこうだったとか、たわいもない話もしました。そこはまさに、世代を超えた役者同士の団結を深める場でした。

そんな姿を間近で見た私は、大人歌舞伎が“ただ漫然と受け継がれている農村歌舞伎”なのではなく、時代ごとに様々な人がそれぞれの気持ちを胸にまっとうする「一つの作品」なんだと感じました。


町民が結束して創り、つないでいく文化

第1回日之影フォトコンテスト観光協会長賞受賞作品「大人神楽」(川野博文 様)

時代は違えど、世代を超えた交流はきっと昔から変わらないんじゃないかと思います。
日之影町の中でも、大人地区は歌舞伎のほかに「夜神楽」という夜通しで行われる神楽が残存している唯一の集落でもあります。
日々の生活の中に町民同士が集まり、言葉を交わし、一つのモノを創りあげる文化が根付いているのが、大人地区の魅力なのではないかと私は思います。


東京からやってきた20代女子。私から見た、宮崎県 日之影町・おおひと地区の人々

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