足利尊氏の供養塔

昭和35年4月号から1年間連載されていた「地名むかしむかし」。
市内のいろいろな地名の由来を当時の文章のままお届けします。
昭和36年1月号より。

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国富(くどみ)というのは宮崎の市街地から青島に行く途中の地名で、もと国富本郷といったところであるが、明治二十二年に赤江村ができた時には本郷北方、本郷南方の両村に分かれていた。

[中略]

鎌倉時代の文書である建久八年(一一九七)の記録によると、この地方は国富本郷を中心に宮崎、那珂、児湯の三郡にまたがる国富荘(くにとみのしょう)という広さ千三百八十二町におよぶ大荘園があったところである。

この荘園はもと鳥羽天皇の皇女八条院璋子内親王の領地であったが、八条女院の死後官地となり、さらに興国二年(一三四一)に京都嵯峨の天竜寺が建立されるにあたり、足利尊氏はこの地を夢窓国師に与え天竜造営の料所となした。

[中略]

思うに国富とか岡富、恒富などという地名は古くから各地にあり、この富は住(すみ)すなわち住居地の意味だという説もあるから古い地名に佳字をあてたのであろう。


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