あの美空ひばりも歌った椎葉発祥の民謡「ひえつき節」について調べてみました。

椎葉村アーカイブスで見る「ひえつき節」広報しいば 第21号記事

[そもそも「ひえつき節」とは?]

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椎葉村アーカイブスで見る「ひえつき節」広報しいば 第21号記事

昭和30年11月5日の東京都明治神宮外苑日本青年会館ホールで開催された全国郷土芸能大会に、九州地区宮崎県代表として椎葉民謡が選ばれ、椎葉村民11名が東京に向かった。


そもそも「ひえつき節」とは?

壇の浦の合戦後、負けた平氏が宮崎に落人集落に隠れ住んだところ、平氏追討に派遣された那須大八郎と集落の鶴富姫との悲恋を歌った歌です。


恋を物語る「ひえつき節」の一節

①庭の山椒の木 鳴る鈴かけてよ 鈴の鳴ると 出ておじゃれ
②鈴の鳴るときには 何と言うて出ましょう 駒に水やろうと言うて出ましょう
にもあるように、姫の屋敷の山椒の木に鈴をかけ、その音を合図に二人は逢瀬を重ねます。 そしていつしか大八郎はこの地に安住する決意を固めるのであります。


「ひえつき節」が全国に広がったきっかけ

ひえつき節が全国に広がったきっかけをひもとき、「昭和3年の初夏から秋口にかけて、五人衆と呼ばれる椎葉村の男性らがNHK熊本放送局で歌声を披露したのが、電波に乗った初めてのこと。昭和8年に観光化を進めていた宮崎の民謡レコード1号として吹き込みが行われた。このレコードは、椎葉幸之助さんと椎葉ひろ子さんのデュエットで、三味線や太鼓などの伴奏が入り、ひょうひょうとした歌い方ながら、歌と演奏がアンバランスだった」と解説した。

 その後、宮崎市観光課職員・長友勝美さんと宮崎交通バスガイド・山内敏子さんのデュエット、プロの照菊、美空ひばりなどが次々にレコードを出し、全国的に広がったという。
出典:夕刊デイリーweb(2013年07月13日掲載分)


椎葉村民と「ひえつき節」

民謡の宝庫といわれる椎葉村ですが、時代の流れと共に民謡は歌われなくなっていきます。子どもの頃、どこからか聞こえていたひえつき節が昭和40年頃から村内でも次第に聞かれなくなりました。

年配の方が「なんかほっとする」と感じるひえつき節、椎葉民俗芸能博物館で、村内で採集された民謡をCDで聞くことができます。


現代における「ひえつき節」の変遷

Eテレ「テクネ 映像の教室」などで同じみのアニメーション作家 ひらのりょう さんによるアニメーション「ひえつき節」がリリースされ、第15回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門では新人賞を受賞されています。


出典:ひらのりょう公式サイト


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美空ひばりも歌った椎葉発祥の民謡「ひえつき節」を調べてみた!

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